経歴 biography
KoRo
小学校でサッカーに出会い、大学4年生までサッカーに力を入れる
音楽というよりもとにかくサッカー小僧として、サッカーボールを追う学生時代を過ごす
【音楽や歌との出会い】
小さい頃から歌を歌うことが好きだった
中学の頃に作詞を始め、ノートに30曲ほど書き溜める
高校時代はとにかくサッカーに時間をつかう
高校3年生で受験が終わったタイミングで、貯めたおこずかいで初めてギターを買う
ギターを買ったものの大学でサッカーをやるためにギターよりもサッカーボールを触る
大学2年のときに、少しずつサッカーを仕事にすることが厳しいことを悟り、
これまでサッカーの陰に隠れていた『音楽』を独学で始めてみる
中学の頃に書き溜めた作詞ノートを元に、オリジナル曲を数曲ひっさげて路上ライブを行う
ほとんど足をとめてもらえないので考える
有名なアーティストの名曲を練習し、カバーを歌うことでお客さんが集まることもあった
そしてオリジナル曲で勝負する
大学時代は、柏駅を中心に路上ライブを行う
アマチュアストリートロードという関東の路上ライブを取り上げてくれているサイトで
月間再生回数1位をとることもたまにあった
都内にあるボイストレーニングの学校に1年間通い、発声の方法を勉強する
外食産業の会社に就職し、働きながら路上ライブやライブハウスでのライブを継続する
特に大宮駅でかなりの回数路上ライブを行う
会社から家に戻って、ギターを持って、大宮駅で路上ライブを行ったり、
金曜日や土曜日は朝まで大宮駅東口の旧ロフトのビルのシャッターの前で歌ったり
朝まで歌い続けて、一睡もせずに会社にいくということをしたり、
どんなに忙しくても、毎日必ず路上ライブをやろうとストイックにやり、体調を崩したり
企業のCMソングを歌うという依頼があり、大宮駅で夕方自分の声が流れたり
いろいろな経験をできた街が大宮
多くの出会いもあり、多くの歌を歌い、多くの歌をつくった
その後、会社を辞め、静岡に戻り、音楽は細々と継続している
また、幸せを運ぶ男『高田エージ』さんのツアーのライブのオープニングアクトを年に1回継続させて頂いている
37歳となり、あることをきっかけに、もっと音楽をやろうって思いホームページを開設
これから第二の音楽ライフがスタートする
ワクワク!
KoRoという名前は、15年前くらいに決めた
心を込めて kokoro を込めて
から抜き出しました
KとRを大文字にしたのは、単純にカッコよかったからです(笑)
40歳になった。
いい曲がいい歌が歌えるようになってきた。
少しずつ
少しずつ
自分の歌声が
皆様の心に響きますように。